第4回大会
2016年11月20日
〜日本の成り立ちを探る〜
平成28年11月20日(日)13:30〜17:15、品川区総合区民会館きゅりあん
第1部
講師:壱岐一郎氏(全邪馬連特別顧問・日本記者クラブ会員)
「徐福伝説とその実証〜謎は解かれた」
<壱岐先生の言葉> 日本の学者は9割以上が疑い、中国の学者は9割が信じている。かの司馬遷が名誉と命を 賭して書き上げた『史記』、後続の『漢書』『後漢書』『三国志』が数百年にわたって 追求した文明人の東渡は長らく「徐福伝説」のみが歩いていたが、1989年、奇しくも 吉野ヶ里遺跡の”発見”と軌を一にした「日中友好徐福学術討論会」がスタートになった。 キイワードは銅鐸だがその実証の道は険しい。
私は1989年の北京生活依頼、黄海渤海の沿岸遺跡を歩き、中国側の協力を得て「始皇帝の6 大事業」の一つとの確信を持った。 日中古代関係史の通史志向を持ち『梁書』の扶桑国なども比定した。
第2部
講師:関 裕二氏(全邪馬連特別顧問・歴史作家)
「私の邪馬台国論〜歴史作家が解明する」
<関先生の言葉> 邪馬台国を解きたいなら、一度「魏志倭人伝」を忘れて、「ヤマト建国の謎」から迫った 方が、手っ取り早い。三世紀から四世紀にかけて、奈良盆地の東南の隅に、纏向遺跡が出 現し、前方後円墳が造られていく。
この時、弥生時代後期の戦乱は収拾され、各地の首長が「この指止まれ」をするかのよう に、ヤマトに集まってきた。しかも「弱い王が担ぎ上げられた」という不思議。 さらに、北部九州はヤマト建国に出遅れていた・・・。 どうやってこの謎を解き明かせばよいのか。その答えがみつかれば、邪馬台国の謎も、 自ずと解けてくるはずなのだ。
第2部終了後、質疑応答の時間を設けています。